静岡茶製造の歴史展示館の説明

  当社静岡市葵区与一にあります営業本部・工場の敷地内の一部にあります倉庫を改装し、静岡茶の機械揉み(手もみ茶から機械揉みへ)の転換期当時の遺産を展示しております。明治時代には殖産興業の1つとして国家の重要な輸出品であった茶は手もみ製法と聞いておりますが、時がたち先人たちの血の出るような努力と工夫により手もみ製法を忠実に再現できるような機械が次々と発明されてきました。ここに展示してある機械群は太平洋戦争の敗戦後から、われわれの先達が日本茶を守るために造り上げてきた歴史の遺産でもあります。

旧式機械を収集した概念

  当社は今でも本社所在地は静岡市葵区土太夫町にありますが、ここは静岡茶町通りにあり、また茶の集積地でもあります。茶町通りはJR静岡駅より徒歩15分ほどのところから始まり東西7~800メートルの通りです。通りの両側には茶の問屋さん、小売屋さん、茶の斡旋所と茶業に関連した店舗等が軒を連ねています。町名は、中心街から順番に、金座町、茶町、上桶屋町、土太夫町、柚木町、安西となっております。金座町は江戸時代には金座があったといわれ、余談ですが、駿府に元々あった銀座を慶長年間(1612年)に江戸の現在の銀座に移動したと聞いております。町名から察せられるとおり職人の町であったようで1本南側の錦町通りにも、研屋町、大鋸町などという町名が残っています。町名は昔年に比べてかなり減っているということですが、それでもこういう町名が駿河府中(駿府)に未だに残っています。

  前述のとおり輸出産業として伸びて来た茶でしたが戦中戦後は米国からの需要が激減し輸出産業というよりも内需向けの様相を呈してきました。戦後しばらく茶は統制品でしたがやがて解除され自由に販売できるようになりました。茶農家も換金できる作物として、また静岡県のプライドとして一所懸命に茶の品質向上に努力をしました。個人の農家でも戦後復活した製茶機械を導入し加工量を伸ばすようになりました。しかしその収入はだんだん世の中の経済と整合を失い、共同化に傾くようになってきました。こちらのご主人も(故人)昭和40年代と思われますが共同工場に参加するようになりましたがいざということを考え、当座これらの機械を使用可能状態のまま残されたということでした。当社にとってこの機械群が残っていたということはとても幸運なことでした。私は先人たちが手もみではない荒茶製造の黎明期の遺産は、茶業者の端くれとして後世に残すべきものと長年考えておりました。たまたま荒茶を購入していた荒茶生産農家さんから「あそこんちに行きゃぁ確か古い(ふりぃ)機械(ききゃぁ)んあるんて、聞いてやるよ」と言われたのがこの話の取っ掛かりでした。

搬出方法

  一農家様の小さな茶部屋(茶工場のことを静岡県ではかつてはそうよんでいた。)から平成22年(2010年)の8月から10月にかけて静岡市葵区の山間地(市内中心部から車で40分)から4回ほどかけて運んできました。木造の年代ものの部屋なので湿気が多く、かつ機械はほとんどが木製なので枠組みが腐り始めているものもあり搬出には慎重にならざるを得ませんでした。1つの機械が100キロから200キロ程度だったと思われましたので総勢5~6人で運搬作業を行いました。当社の3トントラックが2台はすれ違えないような道を20分ほどは走って現場に到着です。まずは物置になっている部屋の片付けから始まります。とりあえず機械を出せるようにするのに半日ほどかかりいよいよ搬出です。木製機械ですので傷めないように慎重に動かします。こちらのお宅は通路がやや細めなので通路も確保し少しずつ移動してトラックに人力で積み込みます。現在の機械は1台が何百キロもありますからとてもこんなことは出来ませんが、きっと当時は手作業で何日もかけて、あるいは部品を持ち込んでそこで組み立てていた節もあるのではないかと、置いてある機械から感じました。これの繰り返しを3回ほどやり最後に片付けと細かい部品を頂戴してまいりました。

機械概要

  当時の工場はほとんどが床は土間で機械の足場となるものは煉瓦を数個置いただけの簡単なものでした。現在の機械はそれぞれの駆動部にモーターをつけてありますのでこのような土台では機械そのものが振動で移動し又機械の構造自体が歪んできてしまいます。しかし当時はモーターが貴重であったのか、1つの強力なモーターから布ベルト(と思います)を、天井に渡した太さを位置によって調整してある鋼製の心棒にかけて、そこから全ての機械にもう1度ベルトで動力を伝えるという方法で茶を製造していました。心棒の太さが違う理由は、当時はもちろんインバータなどというものはありませんでしたからか機械によって違うスピードをこれによって得ていたわけです。当社には残念ながらその心棒はありませんが、実際に見てみると場所によって円錐形になっている部分もあります。これは何種類かある機械によっては、製造途中にスピードを変えなければならないのでこういう形状になっています。また機械によっては逆回しにしなければならないものもありますがここは平ベルトのいいところでメビウスの輪のようにひねれば簡単にできます。このように、現在のようにコンピュータですべてを制御するということはありませんでしたが、親から受け継いだ職人的な知恵と五感と経験(失敗も)で先輩たちは現在の大量製造の基礎を築きあげてきたのです。この機械群は製造能力が1工程で荒茶加工用の生葉原料を四貫目(約16キログラム)加工できることから四貫機と呼ばれていたようです。

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